ブルトレの廃止がなく、撮り鉄的には例年より静かに思える今年のダイヤ改正ですが、それでも485系雷鳥の置き換えやJR九州から485系引退、JR東日本ではあれほど走っていた113系や203系が激減するなど撮影対象は減る一方です。さらにモータースポーツ撮りに目覚めた私はサーキット通いが楽しくて線路際はますます遠のくばかり。出撃回数は大幅に減りそうですが、ボチボチやっていこうと思います。 |
昨年夏に3編成が原色に塗り戻された新幹線100系。8月末には運用が激減し、引退へのカウントダウンが始まっていた。マズイ、知らんかった。昨年からモータースポーツ撮影に夢中だった私はすっかり100系のことを忘れていたのである。1985年10月1日(火)、たまたま体育祭の振替休日で学校が休みだった私は当時最寄だった西明石駅で100系の下り一番列車を見送った。あれから26年、やはりコイツは撮りに行かねばなるまい。いつの間にかマイルが貯まってタダ航空券もある。よし、行くしかねぇ!9月末の3連休を利用して広島へ飛んだ。 今回は3週連続で超達人・関西−D.W氏と共同戦線を張った。先々週は富山、先週は群馬、今週は広島ときて、さらに氏は新幹線撮影後には青い12系となったSLやまぐち号の撮影に向かうという。翌日にはまた広島に戻ってきて、さらにもう一度山口に行くそうである。どこまでもタフである。やはり、超達人(≒超キ○ガイ)ともなると常人にはとてもマネできないバイタリティーが必要なのである。今年になって初の3週連続撮り鉄行となった私などまだまだ足元にも及ばない。また、現地では我がHPをご覧いただいているという関東のキ○ガイ、コメミヤ氏からお声をかけていただいた。極秘であるハズの私の撮り鉄活動もバレバレである。撮り鉄業界というのは意外と狭いものらしい。 さて、話を戻そう。100系は30年近く前の設計である。車体断面が大きく、1両目にパンタが付いている。平べったくパンタが少ない最新の車輌とは構図を変える必要がある。なるべく下を切り、上気味にアングルを調整する。しかし、800mm相当は雲台のパン棒をわずかに締めただけで構図が数十cmも変わってしまう厄介な代物である。200〜300mmで7:3編成写真を撮るのとはまったく難易度が違う。前走りの練習列車で慎重に調整を繰り返す。天地のカツさ具合から考えるに勝負はホンの一瞬であろう。 午前9時11分、定刻に100系は現れた。最速のN700系のぞみや九州新幹線みずほに慣れた目には、停車のために減速したこだまはまるでローカル線の普電のようにノロく見える。車輌の肩口が右側の架線柱を隠した瞬間、シャッターを切る。オッシャーーッ!極った!!! |
No. | 撮影日 | 列車 | 撮影地 |
5 | 2011.09.18(日) | | 上信電鉄根古屋−南高崎 |
4 | 2011.09.18(日) | | 上毛電気鉄道富士山下−丸山下 |
3 | 2011.09.11(日) | | 富山地方鉄道本線西加積−中加積 |
2 | 2011.06.22(水) | | 東北本線浦和−さいたま新都心 |
1 | 2011.01.10(月) | | 弘南鉄道大鰐線津軽大沢−義塾高校前 |