紀州鉄道を午前中で切り上げ、早々と帰路についた。なぜなら、この日は日曜日。翌日は当然朝から普通に仕事である。和歌山までの所要時間は深夜に渋滞なしで7時間。帰りはきっと渋滞するにちがいない。今から帰っても帰宅は日付が変わる頃が予想される。午後も残留したいのはやまやまだが撤収である。しかし、キハ603を仕留めた余韻に浸りながら意気揚々と帰路についたものの、行きの全行程を終夜運転でこなした私は阪和道で早々にダウン。千ちゃんに運転を代わってもらって助手席で爆睡コイたのだった。 目覚めるとすでに吹田ジャンクション。天気はいつの間にかクソ曇りである。この天気なら安心して帰宅できる。思い残すことはない。途中、パトカーの偽善走りや交通量の増加はあったものの、名神高速に入って順調に京都までやってきた。しかし、ここで下した決断が間違いだった。いや、撮り鉄的には正しい選択だったのだが、常識ある社会人としては誤った選択だったのである。 ふと北の空を見る・・・ん?オッ!青いじゃねえか!クソ雲の下の方がスッキリ抜けて青空なのである。どうする?すでに午後3時。移動に1時間を見積もると、撮れたとしても1時間である。しかし、撮りたいもんは撮りたい・・・。悩む・・・。行っちゃう?やっぱ、行っちゃうか?行くしかねぇだろ!というわけで、京都東ICでハンドルを左に切った我々だったのである。 場所は学生時代に関西人だった相棒に任せて、琵琶湖西岸を北上する。関西の雄、三男氏とASA氏に連絡をとりつつ、雷鳥の通過時刻を調べる。雷鳥34号がイケそうである。今なら十分間に合う。やってきたのは近江高島−北小松間の棚田の丘、通称鵜川というらしい。撮影地に疎い私であるが、この場所の写真は見たことがある。現地では東京在住の達人でっけつ氏と遭遇。日本は狭いのだか広いのだかよく分からないが、我々の行動範囲が常軌を逸していることだけは確かなようである。だんだん伸びてくる山影に数分おきに数メートルずつ移動しながらも、目当ての雷鳥34号はアッサリ仕留めることができた。ここまでは大成功である。 17時半、撤収である。ここまで来る途中、国道161号線の京都方向は琵琶湖での湖水浴帰りの車で大渋滞だった。南下するよりも北上して、マキノを回って北陸道に入り、米原から名神に戻るルートの方が懸命である。18時半、木之本ICから北陸道に入る。交通量が多い。早くもイヤな予感である。電光掲示板に渋滞情報が光る。関ヶ原から渋滞14km。まだ滋賀県である・・・。この先、大垣、名古屋といたるところで渋滞に大ハマリ。さらには東名上り線の超名所、大和トンネルでも大渋滞。何とか午前1時半に東京料金所を出たものの、最後に致命的だったのが首都高3号線の工事渋滞。自宅に到着したのは午前3時。片付けや入浴して4時就寝。翌朝(というか3時間後)には普通に会社に出勤した私であった。 |