2009.5.17(日)更新
EF81客レ
1993.5.5(水) 羽越本線上浜−小砂川
Canon T90 FD50mmF1.4 RVP
そろそろココも解禁か?

 表紙のこの一枚、撮影したのは1993年5月である。この遠征の直前、その後の私の撮り鉄スタイルを決定づける雑誌が発売された。レイルマガジン1993年6月号(通巻No.117)、今なお伝説となっている特集「蒸機こそすべて」である。復活蒸機を追い続ける先達の方々が一枚の激Vにかける情熱と執念を綴った撮影記は当時大学2年生だった私の脳髄にビリビリ響いたのである。この特集を読んで得られた結論、それは「バリ晴れはすべてに優先する!」こと。そして、必撮の一枚を仕留めるためには何度撃沈しても晴れるまで執念で通い続けなければならないことである。それ以来、曇ったらシャッターを切らないポリシー?とキ○ガイのように出撃し続ける根性が生まれたのであった(最近は曇っても一応シャッター切るけどね)
 これ以前にもリアル撮り鉄としての「芽生え」はあった。80年代末期のMF全盛期、キヤノンにも機材の重さが命取りとなる山岳カメラマンから名玉と呼ばれたFD80-200mmF4Lや社外品ではタムロンSP80-200mmLDやトキナーAT-X828SDといった優れたズームレンズがあった。しかし、「ズームより単焦点の方が画質がいい」というカメラ雑誌の受け売りから、揃えたレンズは単焦点ばかり。そして、使うポジは「曇っても晴れて見える」フジクローム・ベルビア。しかし、そんなことよりも一番大切なのは晴れていることだと気付かされたのがこの特集であった。そして、実はもう一冊、撮影技術についてインスパイアを受けた雑誌がある。この話はまた別の機会に・・・。

 この1993年は記録的な冷夏となり、ついに梅雨明け宣言が発表されなかった。米の不作により当時の細川内閣は海外から米を緊急輸入。この影響から最終的には米の輸入自由化に至った。毎週末が曇天続きで、ダイヤ改正の12月、羽越本線や奥羽本線の50系客レはもう一度撮りたいという願いも通じず、同時に廃止されたゆうづるや出羽、八甲田とともにポジの中だけの存在となった。

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